『SDM』 VOL.23
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最初の芸能界デビューは アイドル!?―ダンサーの中でも、SAMさんはメジャーアーティストとしての幅広い活躍で有名ですが、最初は、どういったキッカケで芸能界に!? 実は僕、TRFとして活動する前に、アイドルとしてもデビューしているんですよ! ドン勝本さんに声をかけてもらって。もともと勝本さんには、僕が高校3年生くらいの頃に「うちのチームにこない?」って誘われて、それ以来、ずっと色々お世話になっていました。初めてバックダンサーの仕事をしたのも勝本さんの紹介でしたね。―最初のキッカケはTRFじゃなく、アイドルだったんですね!? 自分としては不服ではあったんですけど、僕は当時から、ダンスをやっていく上で「有名にならなきゃ意味がない!」って思っていたんですよ。ディスコですごくカッコよく踊っているダンサーでも、昼間はバイトしているのが不思議というか、もったいないと感じていて。―ダンサーとしての想いがあって、デビューをされていたわけですね!そのアイドルとしての活動はどれくらい続いたのですか? 結局3年目ぐらいの時に自分から辞めたいと言いました。それからお金を貯めて、ニューヨークにダンス修行に1年間行って、日本に戻ってからはディスコシーンでチーム活動していました。それで2年後ぐらいにまた勝本さんに声をかけられたんですよ。フジテレビで「ダンス!ダンス!ダンス!」っていうダンス番組をやるから、それに出ろって。それでその番組を小室哲哉さんが見てTRFにつながっていく……という感じです。―小室さんからは、どのような話があったのですか? 本物のプロダンサーを使って、クオリティにこだわったダンス&ヴォーカルユニットを作ってデビューさせたいという内容でした。だから、芸能界に入るというより、「プロのダンサーとして、ダンスを広げるためにテレビに出る」というプライドで臨みましたね! 好きなことだけやって いたらダメだと想った。―実際、今のような立場になって、考え方は変わりましたか!? 基本的な芯は変わらないですよ。「有名になりたい!」という想いも、もともとは「ダンスを広めたい」という考えからなので。ストリートダンスってこんなにカッコいい。でも一般の人たちは知らないわけですよ。だから、知らせるためには有名になるしかないんです!―では振り返ってみて、実際、SAMさんがここまで有名になれたのは、どの部分が良かったのだと思われますか!? まず、強く想っていたことが1番だと思います。〝強い想いがないと人は、絶対に実現できませんから! だからこそ、「有名になるためには上手くなきゃいけない。じゃあまず上手くなろう!」って考えて死ぬほど練習しましたからね。あと、当時はブレイキンやヒップホップ、ニュージャックスウィングなど、さまざまなジャンルがリアルタイムで生まれて日本に入ってきたので、すべてそれに飛びついて憶えるようにしていました。(※1)(※2)(※3)強い想いがあるからこそ、Special InterviewSAM(TRF)取材・文=長濱佳孝edit by Yoshitaka Nagahama写真=上石了一photography by Ryo-1 Ageishiスタイリング=山村志津 styling by Shizu Yamamuraメジャーアーティスト、TRFとしての活動はもちろん、近年ではコンサート演出やダンサー向けウェアブランドにも関わるSAMが、ついに「SDM」の表紙に登場! 日本のストリートダンスの黎明期から活躍し、常にダンスシーンの未来を案じてきた男が、その生きざまをとおして語る貴重なメッセージ。presented bySTYLING≫“en4th”ダイナミックエアリー・ZIPパーカー ¥11,550“en4th”ダイナミックエアリー・スウェットパンツ ¥7,875“en4th”プリントタンクトップ ¥6825“en4th”スニーカー【TURN ZERO】 ¥12,600※表示の価格はすべて税込みProfile:15才からダンスを始め、日本ストリートダンスシーンの黎明期から活躍。数々の活動を経て、TRFに参加しメジャーデビュー。プレイヤーとして多岐のダンスジャンルに精通し、名だたるアーティストたちの振付けやコンサート演出も行なう。近年では、次世代ダンサーの発掘や育成など、ダンスシーンの発展にも大きく貢献している。SAM※1……ダンサー、振付師、音楽プロデューサーとして活躍するほか、「全国ディスコ協会」を立ち上げ、日本のディスコ・ダンスシーンの発展に大きく寄与。数々のソウルステップを生み出し、ジェームス・ブラウンと30年以上にわたる親交を結ぶ。2007年4月に逝去。※2……当時、SAMは〝東京BE BOP CREW〟として活動。日本のダンスシーンのゴッドファーザーとも称されるYOSHIBOWから、九州を中心に活動するBE BOP CREWの名をのれん分けされたチームであった。※3……1990年、フジテレビ系列の深夜番組として放送。SAMはチーム〝GQマシーン〟として出演。半年後の番組のリニューアルに伴い、チーム名とメンバーをリニューアルし〝MEGA MIX〟に。そのMEGA MIXが小室哲哉の目にとまることになる。10

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