『SDM』 VOL.23
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61日本でも一世を風靡したニュージャックスウィング。右ページでも紹介した、その代表的なアーティストと、独特のスタイルに迫ってみましょう。NEW JACK SWING!今、知っておきたい この時代を語る上で忘れてはならないのが、NJSと同じように大きなムーブメントとなった音楽、ハウス・ミュージックです。この音楽の特徴は、腹に響くような重低音のドラムにキーボードのリフ・メロディが加わり、それが永遠に続くかのようなビートで繰り返されるという陶酔感を刺激するものでした。 その発生はシカゴのクラブで活躍するDJ、フランキー・ナックルズが中心的であったと言えます。そして、アメリカの一都市であるシカゴから、ハウス・ミュージックをニューヨークに広めたのが、フランキー・ナックルズの友人でもあるラリー・レイヴァンというDJです。 実はこの時点ではまだ、ダンスジャンルとしてのハウスは確立されていません。この新しい音楽に真っ先に飛びついたのが、ニューヨークのゲイ・ピープルたちでした。ハウス・ミュージック初期のさまざまな名曲が、新しいことに敏感なゲイに支持されたことで、ハウス・ミュージックは一気に世界中に広がることpresented byになります。 そして、ハウス・ミュージックから独特なダンスの表現スタイルが発生します。それがヴォーギングです。これは90年のマドンナのヒット曲「VOGUE」で世界的に有名にもなりました。このヴォーギングも全くゼロから発生したわけではなく、パンキングが元になっていると言われています。(ちなみにパンキング自体も、当時のゲイ・ダンサーたちによって70年代後期に発展したものです)。 その後、90年代に入り、ニューヨークのクラブシーンやダンス集団のMOPTOPとエリート・フォースらによってハウスのダンススタイルが確立されていきます。ニューヨークのダンサーたちも純粋にハウス・ミュージックに惹かれていき、クラブシーンから発生したダンスですね。 私の個人的な見解ですが、ハウスはブレイキンを元に躍動的フロアー・ステップとして発展させたものだと考えています。それが〝ハウス〞としてジャンル化したと言えますね。ジャム&ルイス(ジミー・ジャムとテリー・ルイス)数多くの名曲を送り出した名プロデューサー・コンビ。ニュージャックスウィングのジャネット・ジャクソンを手がけたのをきっかけに、世間から大きく注目されました。テディ・ライリーアーティストとして、また、プロデューサーとしてニュージャックスウィングを提唱し、牽引した人物。写真は、自らも参加したグループ〝Guy〟のデビューアルバム(右側)。ボビー・ブラウン写真のジャケットの曲「EVERY LITTLE STEP」が一躍ヒットし、MCハマ―と並ぶ時代の大スターとなります。この曲で踊られたのが有名なステップ、ランニングマンとロジャー・ラビットです。計4回のアメリカのダンス史講義を終えて、最後に私から読者のみなさんへのメッセージです。自分が踊っているダンスがどうやって生まれたか、どんな社会や影響の中で、誰が生み出したのか。そういうことを、知っている人と知らない人の間では、将来的に必ずスキルに差が出てきます。それぞれのダンスやスタイル、そういったものの成り立ちをしっかり正しく学んで、自分のスキルに活かして欲しいと願っています。この「SDM」を読んでいる人はたぶん、ダンスが心から好きな人でしょう。ですから、そうやってダンスを大切にする心を忘れずにいて欲しいですね。そして、舞台は日本へ!アメリカのダンス史は、ひとまず今回で終了! 次号から日本のダンス史を前後編に分けて、あの漢がレクチャーします!~歴史を知ること~講義を終えて……サイドにそり込みを入れトップを傾けたり、盛りあげて平らにしたヘアースタイルが大人気に。ビビットなカラーのコーディネイトや、サルエルパンツが代表的なファッションでした。女性はボディラインを見せるダンスウェアが主流でしたね。典型的なニュージャックスウィング・スタイル

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