『SDM』 VOL.28
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第1回ゲスト江守 藹日本のダンスシーンを創成期から知る男あの人気連載企画がついに復活! ストリートダンスの歴史を紐解く本企画、舞台はついに日本へ! 日本のダンスシーンのメジャー&アングラの両方を知る男、SAMをナビゲーターに毎回豪華ゲストを迎え、どの雑誌や書籍にも書いていない日本のストリートダンスの歴史を語ります! 今回お迎えするのはダンスシーンの生き字引、江守藹!取材・文=長濱佳孝text by Yoshitaka Nagahama写真=井上治photography by Osamu Inoue協力=boogiezone utopiaPROFILE:15才からダンスを始め、日本ストリートダンスシーンの黎明期から活躍。数々の活動を経て、TRFに参加し、メジャーデビュー。プレイヤーとして多岐のダンスジャンルに精通し、名だたるアーティストたちの振付けやコンサート演出も行なう。近年では、次世代ダンサーの発掘や育成など、ダンスシーンの発展にも大きく貢献している。〜日本史〜SAMSAM案内人案内人SAM:僕は江守さんが踊っているところを見たことはなかったんですけど、昔、ドン勝本さんや先輩からネッシー・ギャングについて色々聞いていたので、想像の中ですごく大きくなって勝手に憧れていたんですよ! だからこうやって今、江守さんと話せるなんて正直、すごくうれしいです。江守さんはチームを結成したのはどういった経緯があったんですか?江守:当時(70年代)はそもそも、ダンスチームを組むなんていう概念がなかったんだよ。個人が好き好きにディスコで踊ってた時代だから。それできっかけはと言うと、74年に当時人気のあった黒人ファンクバンド、Kool & the Gnagが来日コンサートをする時。当時付き合いのあったレコード会社から、そのプロモーションとして日本人のダンスチームを作りたいという話を持ちかけられてできたのがネッシー・ギャング。コンサートでは一緒のステージで踊ったりして、今で言うバックダンサーの原型だったね。SAM:そうだったんですね! あとお聞きしたいのが、僕がディスコでよく踊ってた時(70年代後半)はよくチームの先輩からダンスを教わったりしていたんですけど、江守さんは確か日本に来ていた黒人たちから直接教えてもらっていたんですよね?江守:詳しく言うと、日本に来ていた米兵の黒人たちだね。73年にベトナム戦争が終結するまでには、横須賀や立川、厚木、東京周辺の米軍基地には本国から多くの若い兵隊が送られてくる。彼らは週末になるとよく都心にあるディスコへ息抜きに繰り出してきて、本国の最新のダンスを踊るし、最新のレコードをディスコにプレゼントしたりする。そんなディスコで踊る彼らのダンスを見て盗んだり、実際に仲良くなって教えてもらったりしていたね。SAM:おそらく、僕と江守さんに共通して関係の深い人がドン勝本さんだと思うんですけど、ドン勝本さんとはどういう間柄だったんですか?江守:勝本とは新宿のディスコで知り合って、彼も音楽が好き、特にジェームス・ブラウンが大好きだった。年は僕の一個下なんだけど、ほぼ同期、いつも間にか親友になっていたよ。彼はこういう日本のダンスシーンの歴史を語る上では、非常に重要な男だと思う。SAM:全国ディスコ協会の会長でしたもんね。江守:そう、当時は時代的にレコード会社もダンスを取り入れたプロモーションをやり始めたし、僕もイラストレーターとしてレコード会社と色々付き合いがあった。だったら、業界を巻き込んで何か全国的に活動していこうって話して作ったのが全国ディスコ協会。やっぱり親分肌の男だから、勝本が会長になってね。SAM:僕も2回ぐらいミーティングに出席したことがありますよ! 大きな会議室に全国からDJが集まって、業績を報告したり情報交換したりして……。あと、協会としては全国のディスコにDJやダンサーを派遣したりするのが主な内容でしたよね。江守:それで僕はそのときネッシー・ギャングとしても活動していたから、勝本もそれに対抗するようにして「ディスコ協会も何かチーム作らなきゃな」って言って作ったチームがオールジャパン・ソウルトレイン・ギャング。後に〝スペースクラフト〞と名前を変えて活動するようになって、そこに勝本に誘われたSAMが入ってくる と。日本初のプロダンスチームディスコシーンの立役者・ドン勝本※1※2※4※350

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