『SDM』 VOL.28
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わずか数年間でしたが、幸いにも私は仕事を通して生のドン・コーネリアスに触れられたことを喜びに思っています。99年、東京・台場にソウルトレイン・カフェとソウルトレイン・クロージングを開業させるため、LAにあるソウルトレイン・プロダクションを訪ねたのが最初の出会い。70年代初頭はソウル小僧だった私にとってドンは憧れの存在で大緊張でしたが、すぐにうち解けさせてくれる優しく器の大きな方でした。 カフェのオープンで東京に来られた時、ドンに「今後、ダンスのキャスティングには充分気を使ってくれよ」と言われ、「任せて下さい、私もダンサーですから承知しています」と答えると、「頼むぞ」と肩を叩いてくれました。そして翌年、なんと※「ソウルトレイン・レディ・オブ・ソウル・アワード」に招待してくれたのです。しかも、会場サンタモニカ・シビックセンターに用意されていた席は受賞者やプレゼンターたちが座る一画。スターたちに囲まれてのアワードという夢のような時を過ごしました。いまも忘れられない良き思い出の数々です。 ドンによる番組の閉め言葉「Love, Peace an〜d Soul !」の精神を受け継ぎます。̶̶江守藹本誌2011年1月号掲載、「ストリートダンス史概論Ⅰ」でソウルトレインを特集したことは記憶に新しいだろう。追 悼Don Cornelius偉大なるオリジネーターたちを輩出した伝説のダンス番組プロデューサーを偲ぶ。「SOUL TRAIN」プロデューサー ドン・コーネリアス1970年代、日本ではダンサーたちが食い入るようにその画面を見つめ、多くのダンスを習得した、米国発の伝説のテレビ番組「SOUL TRAIN」。米国では多くの〝オリジネーター〟と呼ばれるダンサーたちを輩出し、日本のダンスシーンの発展にも大きく貢献したこの番組のプロデューサー、ドン・コーネリアスが2012年2月1日、この世を去った。生前、親交の深かった江守藹氏とともに彼が残した多大なる功績を振り返りつつ、追悼の意をここに捧げる。「ソウルトレイン」収録時の様子。1999年、LAのソウルトレイン・プロダクションにて。※注 年に一度、その年でもっとも優れた女性ソウル・アーティストに贈られる賞。グラミー賞と並び、音楽業界の栄誉ある賞として知られている。追悼 ドン・コーネリアス電子書籍はこちらから → http://streetdance-m.com/ebook/sdm_21_e/江守氏が語る、「ソウルトレイン」の功績 ソウル/R&Bのヒット曲と、人気アーティストの生出演、それを囲むように踊るダンサーたち。アメリカの代表的なテレビ番組「SOULTRAIN(ソウルトレイン)」は1970年に始まり、2006年まで放送されていた長寿番組です。ドン・コーネリアスはその「ソウルトレイン」の司会者として有名ですが、この番組を企画して制作したのも彼。そうした長い歴史の中、最も輝いていたのは70年代でした。 全米の主要都市をネットする番組としてスタートしたのが71年。この頃のアメリカはまだ人種偏見や差別が強く残っている時代で、多くの黒人は白人との社会的格差の中で生きていました。黒人がテレビ画面に登場する機会は少なく、たまに写るのはごく一部のスター歌手やスポーツ選手。そうした中で放送を開始した「ソウルトレイン」は、出演アーティストやダンサーにスタッフなど、制作のすべてが黒人によるものだったのです。番組の内容はもとより、こうしたこともいち早く全米の黒人社会に支持された要因ですね。 瞬く間に人気番組となった「ソウルトレイン」は、70年代中頃にはアメリカ黒人社会の象徴的番組として語られるまでになり、ジェームス・ブラウン、マーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダーなど、当時のスター歌手たちもその出演を誇りとしていました。 この頃の「ソウルトレイン」にはドン・コーネリアスのアイデアが随所にちりばめられています。番組を彩るゲストの歌手やバンド。それ以外にも黒人の成功者といえる映画俳優やスポーツ選手、文化人を出演させて黒人のアイデンティティを示していました。 また、黒人社会の大きな問題でもあったのが教育の格差。「ソウルトレイン・スクランブル」と題されたコーナーでは、スタジオ内から選出されたカップルに黒板に無造作に貼られたアルファベット文字を使って、流れている曲のアーティスト名の正しいつづりを1分以内に並べさせる。ただスペルをつづるだけだが、ゲームを通して学ばせていたのです。 そして何よりも最高のアイデアと言えたのが、ダンスだけを見せるソウルトレイン・ラインのシーンでしょう。ダンサーたちはその瞬間にかけてダンスを披露する。その様子を日本の私たちも楽しみ、ダンスを覚える為に目を凝らすようにして見ていました。 毎回の収録の日には入場パスを得るために街のダンス自慢たちがオーディションの列をつくりました。そうした中にいたのがスターダンサーとなる逸材、「ソウルトレイン・ギャング」と称される中にいたのが、パット・デイヴィス、ダミダ・ジョー・フリーマン、スクービードゥ、ドン・キャンベルら、ストリートダンスのオリジネーターたち。70年代後期にはジョディ・ワトリー、ジェフリー・ダニエルといったスターも生み出しました。 これらはドン・コーネリアスの偉大な仕事の一部に過ぎません。とくにダンスシーンに残した業績は多大で、ドン・コーネリアスがいなかったら現代のストリートダンス・シーンは無かったとまで言えるでしょう。52

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