『SDM』 VOL.29
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心らか踊ばれ、中界世の人とるがなつがとこ。るきでfeaturingVOL.29COVER DANCERSpecial Interview1418才より本格的にダンスを始め、渡米後わずか3年でマイケルの「THIS IS IT」オーディションに合格。しかし、マドンナとの専属契約期間中により不参加となる。そしてマイケルの死後、マドンナのコンサートにてマドンナ直々の依頼でマイケルの衣装に扮し、追悼ダンスを踊る姿が全世界で話題となる。その後、グラミー賞を獲得したクリスブラウンの専属ダンサーとして、また日本でもCMやLIVEで活躍中。スーパーヒーローが、この世からいなくなった。――ケント・モリさんと言えば、マドンナのコンサートでマイケルのパフォーマンスを披露された事が世界的に有名ですが、当時の心境はどんな感じでした? 率直に、ちょっと信じがたいことが起こってしまったと思いましたね。ある意味、あの瞬間は歴史上初めてマイケルとマドンナが共演した時間だったと思うし、それを日本人の僕がやったということが今になっても信じがたいです。やっぱりそれは、マイケルの遺してくれた想いがマドンナをつき動かしたんだと思います。 ただ、マイケルが亡くなって、ずっと僕の目標だった「マイケルと一緒のステージに立って踊りたい」という夢は、一生かなうことがなくなってしまいましたね……。――マイケルの訃報を聞いた時はどんな心境だったんですか? 「亡くなって悲しい」という次元じゃなかったです。彼がこの世からいなくなったことが信じられなくて……どこかで生きていて欲しかったです。子供の頃の、スーパーヒーローが死んじゃったような心境でした。 彼ほど人のために生きて、彼ほど誤解された人はいないですよ。僕にとっても、多くの世代の人にとっても、マイケルは神様のような存在だったと思います。――ちなみに、マイケルのことを初めて知ったのはいつですか? 3、4才くらいの時かな? その頃は一緒に踊りたいとかは全く思ってなくて、単純に音楽が大好きで繰り返し聞いていました。それから12才ぐらいの時から、マイケルの音楽を聴いて自然と、自分1人で踊ってましたね。――そこからダンスの道を目指すようになったんですね! いやいや、その時はまだ上手くなろうとも考えてなくて、ただ単純に楽しかったからですよ。本格的にダンスでやっていこうと思ったのは18才の時ですね。それで19の時にLAに短期で滞在して、21から本格的にLAに移り住んでダンスの活動をしていました。僕のやり方をなぞっても、成功するとは限らない。――なぜ、いきなり海外で活動を始めたのですか? マイケルと一緒に踊るという夢のためでもあるけど、やはりダンスの本場で学びたいという気持ちが強かったからですね。やっぱり本場はいい意味で実力主義ですよ。僕みたいな名もない日本人にもチャンスがありましたからね。ダンス歴何年かとか、誰も気にしない。それよりも、今のダンスがいいか悪いか。

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