『SDM』 VOL.29
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第2回ゲスト坂見誠二世界各国のダンスシーンを知る男知られざるストリートダンスの真実を紐解く本企画、日本のダンスシーンのメジャー&アングラの両方を知る男、SAMをナビゲーターに毎回豪華ゲストを迎え、どの雑誌や書籍にも書いていないストリートダンスの事実をレクチャーします! 今回お迎えするのは世界のダンスシーンに精通する男、坂見誠二!取材・文=長濱佳孝text by Yoshitaka Nagahama写真=金子亜矢子photography by Ayako Kaneko協力=boogiezone utopiaPROFILE:15才からダンスを始め、日本ストリートダンスシーンの黎明期から活躍。数々の活動を経て、TRFに参加し、メジャーデビュー。プレイヤーとして多岐のダンスジャンルに精通し、名だたるアーティストたちの振付けやコンサート演出も行なう。近年では、次世代ダンサーの発掘や育成など、ダンスシーンの発展にも大きく貢献している。SAMSAM案内人案内人WORLDSTREET DANCECROSS TALKSAM × SEIJISEIJI×SAM〜地理〜―お二人は元々、同じチームの先輩・後輩という間柄なんですよね?SAM:同じ時期には在籍はしてないですけどね。ドン勝本さんの作った〝スペースクラフト〞というチームの、誠二君が初期メンバーで、僕は末期のメンバーです。誠二:スペースクラフトの末期メンバーが芸能界デビューした、〝リフラフ〞ってグループでSAMが活動している時にお互い初対面して、仲良くなっていったよね。共通の友人ばっかだし、今でも飲みに行くもんね!―なるほど! さらにお二人とも海外、特にNYに詳しいとお聞きしましたが……?SAM:誠二君がSAKUMA君やRICKY君たちとアポロシアターのアマチュアナイトに挑戦した時期が、ちょうど僕がNYに住み始めた頃だったんですよね。誠二:85年とかだっけ? 僕らは日本人として初出場で、パフォーマンス部門の優勝をとれてさ。SAM:かなり話題になりましたよね! 現地の新聞にも載ったりして。僕も自分のことのように嬉しかったのを憶えています!誠二:僕らは1ヶ月半ぐらいの滞在だったけど、当時のNYはものすごく治安の悪い時期だったな〜。ブロードウェイなんて今じゃキレイに整備されてるけど、当時は危険すぎてまともに歩けなかった!SAM:俺なんて住んでた場所が地元で〝ヘルズキッチン〞なんて呼ばれてる危険な場所で、わざと汚い格好して狙われないようにしていましたよ! こぎれいな格好していると金持っていると思われて、すぐにホールドアップ(背中に銃を突きつけられる)されちゃうような環境でしたから。―当時のNYのダンスシーンはどんな感じでした?誠二:ちょうどブレイキンの盛り上がりが終わりかけた時期だったね。SAM:ROCK STEADY CREWとかNew York City Breakersとか有名なチームはいたけど、ストリートでは見なかったかな。当時は〝フリースタイル〞って呼ばれてたハウスの原型のようなダンスが流行ってましたよね!誠二:そうそう、ブレイキンみたいにアクロバティックなんだけど、服は汚れないように動いていた!SAM:でも、その時はまだ、あんまりかっこよくなかったですよね?誠二:俺も気持ち的には、「このスタイルはこれからどうなるんだ?」って感じだったね。SAM:ダンスの現場もストリートよりクラブになってましたけど、危ないクラブばっかで本当に怖かったですよ(笑)。中に入るのにボディチェックは当たり前で、よくセキュリティと不良が入り口でにらみ合いとかして。誠二:危険な街だったけど、だからこそ新しいものが生まれてきたんだろうね。本当の意味でアンダーグラウンドな連中が、そこでしか聞けない音楽、見れないダンスを作ってきたんだと思うな。―当時からNYは世界のダンスシーンに大きな影響を与えていたんですね!SAM:影響度で言えば世界一と言っていいと思いますよ。NYとLAのダンスシーンが与える影響はかなり大きいですからね。誠二:ストリートのダンスのルーツと言えば、やっぱりアメリカだよね。大本をさかのぼっていけばアフリカなんだけど、そういったアフリカの要素をオールドスクールやヒップホップっていう、今の若者たちにNY.2 ストリートダンスのルーツNY.1 もっとも危険な街60

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