LOCKING SUMMIT JAPAN 2009の講義で明かされたロッキンの真実!

カルチャー
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“歴史を正しく次世代へ伝える”という目的のもと、『LOCKING SUMMIT JAPAN 2009』内で行われたロッキン講義。GREG CAMPBLLCOK JR.を中心とし、日米のロッキン・オリジネーターたちがロッキンにまつわる数々のエピソードを講義してくれるという内容だ。この歴史的講義で行なわれた内容を、当日、実際に参加していた、日本のストリートダンス・カルチャーの第一人者、江守藹がその内容をわかりやすく解説!
※この記事は『SDM vol.11』に掲載された記事になります。

 

江守藹 PROFILE
1973年に日本最初のプロダンスチーム、ネッシー・ギャングを結成、プロとしてのキャリアをスタート。かつての『SOUL TRAIN JAPAN』の総合プロデューサーでもある。 現在はソウルフルな画風のイラストレーターとして、数多くのレコードやCDカバーを制作。また、DJ、音楽&店舗プロデューサーとしてもマルチに活躍している。

 

Q.ロッキンはどんなところで生まれたの?


A.アメリカのサウス・セントラル

ロサンゼルス・ダウンタウンの中心から南に下ったコンプトン区、サウス・セントラルとワッツという地区があります。黒人史として重要な1965年のワッツ暴動。1980年代後期のウエスト・コースト・ラップの先駆けとなりアイス・キューブとドクター・ドレを生んだラップ・ユニットNWA。近年のクランプ。そしてもちろんロッキン。すべてこの黒人地区から発生しています。ウエスト・コーストは、黒人文化にとっていつの時代も重要な地区なのです。
そこで生まれ育ったグレッグが本格的に踊りはじめたのは1970年頃、仲間のみんなも高校生でした。ここはまた、貧しくてギャングも多い街。でも、ダンスが上手い男たちは街でもクラブでも一目置かれる存在だったようですね。

 

Q.ロッカーズを結成する前のグレッグたちは何をしていたの?

 


A.それぞれがチームで活動していたが、「ソウルトレイン」をきっかけに交流を深めていった。

この話の中でよく出てきたのがやはり、テレビ番組「ソウルトレイン」との関わり。1971年にこの番組はシカゴからロサンゼルスへ引っ越します。そこでドン・キャンベル、サンボ・ロック、スクービードゥ、スキーターラビット、トニー・ゴーゴーらとの友好の輪を広め、ダンスのスキルも上げていったとグレッグは語ってくれました。
また、1972年にロサンゼルス競技場に10万人を集めたイベント「ワッツタックス」が彼らにとって“以前”、“以後”と大きく位置付けされていた事がわかります。ロッカーズの結成は「ワッツタックス」以後ですね。

 

Q.どうしてロッカーズという名前になったの? どうしてロッキンはストライプ・ソックスを履くの?

A.名前は権利上の問題。ソックスは当時の流行から。

当初は「キャンベルロック・ダンサーズ」だったチーム名。だが、「キャンベルロック」を名乗る音楽バンドが他にいて、権利上それが使えなくなってロッカーズを名乗るようになったようです。そして当時のロサンゼルスで流行していたのがレインボーカラーのストライプ・ソックス。それをヒントにユニフォームとして履いていたら、ロッカーズをイメージするものとして定着しました。
ちなみに、ニッカポッカを履くロッカーズ・スタイルは、古くから黒人の道化師が着ていたコスチュームでもあります。

 

Q.どんな風にしてダンスの動きをつくり出されたの?


A.アニメや漫画のキャラクターの動きをヒントにした

ダンスの動きの生み出し方について、テレビアニメーションや漫画、例えば「フリックス・ザ・キャット」「バックス・バニー」などの、キャラクターのゆかいな動きをヒントにしたという答えには誰もが納得したでしょう。ロッカーズとは、とてもコミカルで見る人を楽しませてくれる大道芸的グループだったのです。グレッグとトニー・ゴーゴーのやりとりもウケていましたね。
中でも、黒人独特の仕草や言葉使いを演じながらダンスを表現したり、具体的な動きをやって見せて、会場からは納得の拍手がおこりました。

 

Q.スキーターラビットやその他のムーブの名前の由来は?


A.そんなことより、ダンスは大きな力を持っている

質疑応答で出たこの質問。ここで黒人とのダンスに対する基本的考え方の違いが出ましたね。名前や動き、スキルにこだわる日本人の生真面目さが浮き彫りになったと言えるでしょう。グレッグはパーティー・ダンスの楽しさやその重要性を切々と語ることで答えとし、父母の痴話喧嘩をチークダンスが取り持った話を、動きを交えて懸命に語ってくれました。
これは多くの黒人に共通した考え方なのですが、会場では笑いを誘う彼の語りに目がいって、意図する意味はうまく伝わらなかったと思います。もしかしたら彼にとってダンス名や由来はそれほど大切では無いのかもしれませんね……。

ロッキン談義を総じて……


最後にトニー・ゴーゴーから、自分と日本との関わりの話をされました。1981年頃から日本に住むようになって、一度は辞めようと思ったダンスに引き戻してくれたのが福岡のビーバップ・クルーとの出会い。それがあったから今の日本のロッキンシーンもあると熱く語ったのが印象的でした。
私たちの身近にオリジネーターの1人がいることを忘れてはいけません。物事の成立ちを学び、オリジネーターに向かい合う重要性。こうしたサミットやワークショップを開催し続けている今回のオーガナイザーKUROMA氏に敬意を表したいと思います。

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