いま学ぶ! ストリートダンスの歴史(1970年代)~SOUL TRAIN~

カルチャー
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※この記事は「SDM vol.21」に掲載された記事になります。

「ストリートダンスを踊るなら、その歴史を学ぶ必要がある」

そう耳にすることもあるでしょう。
しかし、どんな情報も検索すれば見つかる現代でさえ、正しい歴史を知ることは容易ではありません。そこで「SDM」では、真の歴史をストリートダンス・カルチャーを日本でもっとも古くから見てきた男、江守藹のもと誌上講義を敢行する!

ストリートダンス史概論Ⅰ ―アメリカ史ー

ソウルダンスから様々なダンスが形成されていく70年代。それに大きく貢献したのがアメリカのテレビ番組「SOUL TRAIN」です。
そこで今回は、皆さんがよく知っているようで実は知らない「SOUK TRAIN」を軸にして70年代を探ってみましょう。

黒人による黒人のために放映された音楽番組

時は1970年、「SOUL TRAIN」はシカゴのテレビ局のローカル番組として産声をあげました。
この番組の仕掛人が、自らも番組のMCとしても活躍する黒人プロデューサー、ドン・コーネリアスです。

彼はまだ黒人差別が根強く残る時代背景の中、制作スタッフも出演者もすべて黒人という、徹底した黒人による、黒人のための音楽番組として番組を立ちあげました。
そして、〝黒人だけ〟という点以外にも「SOUL TRAIN」が普通の音楽番組と大きく違った点があります。それがダンスを大きく映すということでした。
具体的には、アーティストが歌うときやレコードで曲を紹介するときに、スタジオにいる黒人たちを自由に踊らせる。番組のエンディングで、左右両サイドに分かれた中央を、順番に踊りながら登場する様子(ソウルトレイン・ライン)を大きくカメラに映しだすのです。


ダンスで出演する黒人たちはいわゆる〝公開収録に参加した、まったくの一般人〟。収録に参加するのにはオーディションがありましたが、「自分のダンスがテレビで放映される!」という黒人たちの自己顕示欲をくすぐり、オーディションには毎回、長蛇の列ができました。
そして、放送回数を重ねるうちに制作陣や視聴者の目にとまるダンサーが出てきます。
すると「キミはもうオーディションを受けないでいいから、毎回来なさい」とスタッフから声を掛けられるようになり、番組の重要なキャスト、ソウルトレイン・ギャングとなるのです。

 

 

ソウルダンスから生まれるダンスたち

それでは「SOUL TRAIN」では、どんなダンスが踊られていたのでしょうか?
放送開始から瞬く間にブームを巻き起こした「SOUL TRAIN」は、1971年には放送局をロサンゼルスに移し、1975年には全米ネットの番組へ拡大していきます。

すると、まさに全米から番組への出演権をかけて、名だたるダンサーが集結してきます。

当時はスキルというよりも、いかに目立つか、オリジナリティで勝負する時代。オーディションではソウルダンスをベースとしたさまざまな個性あふれるダンスが競われるようになります。
中でもドン・キャンベルが頭角を表し、彼のダンス、ロッキンが一気に全米に知れ渡るようになります。彼はこの番組がきっかけで、日本でも有名なThe Lockersを後に結成します。

 

そうして1970年代も中期になると、ディスコブームが到来します。
社会全体も豊かになっていき、黒人たちの地位も認められるようになり、彼らのファッションも上品なものに洗練されていきます。
そんなスタイルから生まれたのが、ポーズを見せる要素の多いパンキング。このダンスも番組内で多く見られるようになります。

また、ディスコブームの影響により、ダンスを意識した軽快なビートの音楽、ファンク・ミュージックが盛り上がってきます。
この音楽に合わせるように西海岸のロックダンサー達が新たなムーブを表現するようになります。それこそがポッピンであり、ブーガル・サムによりエレクトリック・ブーガルーズが結成されました。

このように1970年代はソウルダンスをベースに、さまざまなダンスが派生していきます。

 

 

ダンスチームの誕生

「SOUL TRAIN」では年に一回、番組内でコンテストが開催されていました。おなじみドン・キャンベルやスクービードゥーが活躍しますが、このコンテストは審査員にも注目です。
後にマイケル・ジャクソンのプロデューサーとして名を馳せるクインシー・ジョーンズ、第二回大会にはジェームス・ブラウンも参加しています。今からみると、名だたる黒人音楽関係者がかかわっているのが分かりますね。
コンテストの他にも番組からはさまざまなスター・ダンスチームが生まれます。キャンベルロック・ダンサーズ、サムシング・スペシャルなど、ロッキンのダンサーたちが多く活躍していました。

また、この時代に生まれた面白いスラング(俗語)として「GET DOWN(ゲッダン)!」という言葉があります。これはそのまま「下げる、着地する」という意味ではなく、「かっこいい、いけてる」という感じで使われていました。現在の日本の「やばい!」と同じような使われ方ですね。
当時の映像をみると、番組内でも頻繁に「ゲッダン!」と叫ばれているのが分かります。また当時のアーティストたちも頻繁にこのフレーズを歌詞に入れているので、探してみるのも面白いでしょう。

 

このように、「SOUL TRAIN」はさまざまなムーブメントを巻き起こし、1970年代も後半となると時代も華やかさや豊かさを増していきます。ディスコブームは〝ディスコ産業〟といえるほどのビジネスになり、ダンスと音楽というより、大人の社交場としての意味が強くなっていくのです。
しかしながら抑圧された時代から解放され、願っていた豊かさを手に入れたともいえる黒人たちですが、そのような浮わついた流れを良しとせず、もっと自分達らしい表現の方法があるはずだと模索し始める連中が出てきます。

彼らが巻き起こす新たなムーブメントこそが、後に世界中に大きな影響を与えるヒップホップなのです。

 

SOUL TRAIN TOPICS!

「SOUL TRAIN」は数々の新しいムーブメントを巻き起こしました。
ここでは「SOUL TRAIN」を語るうえで重要な人物などについて説明しましょう。

Don Cornelius

一番忘れてはならないのが番組の仕掛人、ドン・コーネリアス。彼なくして「SOUL TRAIN」は語れません。番組プロデューサー、そして自らMCとして番組を盛りあげました。
ちなみに「Love,Peace a~nd Soul!」は番組エンディングの決まりセリフでした。

Jody Waltly

番組が生んだソウルトレイン・ギャングとして活躍し、そのルックスとダンスの上手さでひと際、注目を浴びていました。

サムシング・スペシャル

スクービードゥー、タイロン、パトリシアの3名と番組を代表するチームによって結成された「サムシング・スペシャル」。1976年の彼らの来日により、それまで日本ではあやふやに伝わっていたソウルダンスが一気に明確になりました。

SHALAMAR

番組が生んだ音楽グループ、シャラマー。上記のジョディ・ワトリーのほかに、後にマイケル・ジャクソンのPV振付を担当したジェフリー・ダニエルが所属していました。

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