いま学ぶ! ストリートダンスの歴史(1960年代)~SOULとは~

カルチャー
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※この記事は「SDM vol.20」に掲載された記事になります。

「ストリートダンスを踊るなら、その歴史を学ぶ必要がある」

そう耳にすることもあるでしょう。
しかし、どんな情報も検索すれば見つかる現代でさえ、正しい歴史を知ることは容易ではありません。そこで「SDM」では、真の歴史をストリートダンス・カルチャーを日本でもっとも古くから見てきた男、江守藹のもと誌上講義を敢行する!

ストリートダンス史概論Ⅰ ―アメリカ史ー

ある日突然生まれる文化、そんなものはありません。どんな事にも発生する理由や背景があります。
ストリートダンスの原型といえる〝ソウルダンス〟、その多くは黒人社会が強く民族性を主張し始め、政治や社会が揺れ動いた1960年代に生まれました。

すべての始まり〝SOUL〟

ストリートダンスの始まりを語るには、まずアメリカにおける黒人たちの時代背景を説明しなくてはなりません。1つの大きなきっかけが、1964年に制定された公民権法です。
奴隷としてアメリカ大陸に連れてこられた黒人たちには長年、人権がありませんでした
1862年にリンカーンの奴隷解放宣言によって奴隷という立場から解放されるものの、まだ選挙権などの公の人権(公民権)がない〝ただアメリカに住んでいる人〟という状態。

そして約100年かかって、1964年にようやく公民権法が制定されると、制度上は黒人たちにも公民権が与えられます。
しかし、黒人差別は根強く残り、公民権を獲得して「自分たちもアメリカ合衆国の市民なんだ」という意識が強くなった黒人たちは、不満を募らせていくのです。

そういった環境の中で「自分たちの考えや文化に誇りを持とう」という考え方や動きが広まります。
そのスローガンのような意味合いでSOULという言葉が生まれました。いわゆる一般的な直訳である〝魂〟ではなく、強引に和訳するならば〝黒人ならではの〟といった感じですね。

だから〝SOUL〟とは単なるダンスや音楽のジャンルではなく、彼ら黒人たちのダンスや音楽をソウルダンス、ソウルミュージックと呼ぶのです。

写真の看板には「COLORED WAITING ROOM(有色人種待合室)」と書かれている。
このように、黒人差別はバス停の待合室にまで及んだ。

街角の若者が生んだ大衆文化

では、ストリートダンスの元であるソウルダンスとはどのようなものだったか?
当時、黒人たちの多くは貧しく、高校を出ても大学になんて行けない、仕事もないという状況でした。そのような夢も希望もない黒人の若者たちの間には、ドゥーワップという50年代から引き継がれた歌唱スタイルがありました。
ドゥーワップは高価な楽器を必要としないため、気軽に仲間たちと集まって楽しむ・練習するという光景が街のあちこちの路上でみられました。

その中で「もっと目立ちたい」「もっとカッコいい事をしたい」と考え始めた若者が、リズムにノリながら歌うだけでなく、「ちょっとみんなでステップを揃えてみよう」というようなことをやり始めるのです。
そうすると、他の連中が「この街にイカしたことをしてるやつらがいる」と注目し、その練習を見に集まり、みんなでそのマネをし始めるのです。それこそが、いわゆる原始のストリートダンスであり、黒人たちの大衆文化から生まれた、黒人ならではの(ソウル)のダンスなのです。

この年代のソウルダンスを大きく3つにわけると、前期のモンキーゴーゴーブーガルーなど、リズムを腕で大きく表現する傾向があります。
少し洗練されてくるのが中期で、フォーコーナーのように腰の動きやステップワークに変化。後期はファンキーに関するダンスが主流となります。

このような動きにソウル・ミュージシャンたちの存在は欠かせません。
例えば、スライ・ストーンに注目してみましょう。彼は歌はもちろん、ギターもキーボードも演奏できました。キーボードを弾くときに、今でいうロッキンのムーブである〝トゥエル〟のように手を巻いて動かし、観客の多くは彼のその独特な動きをマネしていました。
その中には、日本でも有名なオリジナル・ロッカーズを後に結成する、当時15歳ほどの若かりしドン・キャンベルトニー・ゴーゴーもいたことでしょう。

このように、大衆文化から発生したソウルダンスは、多くのアーティストたちによって広がり、確立され、後のストリートダンスへと進化していくのです。

今なお踊り続けるトニー・ゴーゴー。生きる伝説といっても過言ではない。

時代を象徴する、ダンサーに影響を与えたアーティストたち

1960年代、パワーに満ちた音楽とダンスが数多く生みだされました。
ここではソウルダンスの発生にも深くかかわった、代表的なアーティストと彼らが生みだしたともいえる特徴的なムーブを紹介しましょう。

James Brown

まさにキングオブソウルであり、16ビートrizumuwo生みだしたリズムメーカー。ステージ上では数多くのダンスを考案して踊ってみせました。
彼のバンドにいたミュージシャンたちは、後に数々のファンク・ミュージックを代表するバンドに加入します。そういう意味ではJBはファンクスタイルの大もと、ともいえますね。

HIS MOVE

Popcorn、Camel Walk、Boogaloo、GoGo、Horse、Monkey

The Temptations

全員身長190cm以上のナイスガイ、〝歌って踊れるイケメングループ〟の元祖といってもいいでしょう。彼らの代表曲「MY GIRL」は、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしHIS MOVEにジャクソン5は彼らの影響を強く受けていますね。

THEIR MOVE

kater、Four Corner、Soul Cha-Cha

Sly Stone

スライ&ザ・ファミリーストーンとして、ウッドストックに出演した唯一のソウル・アーティスト。
ジェームス・ブラウンのファンクビート(16ビート)の影響をもとに今のファンクスタイルを確立したといえます。中でもデビュー曲「DANCE TO THE MUSIC」は、ソウルからファンクを知る上での教科書的な名曲ですね。

IS MOVE

Lockin’ Stock

その他の代表的アーティスト

Rufus Thomas

HIS MOVE

Funky Chiken、Dog

Wilson Pickett

HIS MOVE

Funky Walk、Funky Broadway

The Supremes

     

   

     

    

江守 藹

PROFILE
1973年に日本最初のプロダンスチーム、ネッシー・ギャングを結成し、プロとしてのキャリアをスタート。かつての『SOUL TRAIN JAPAN』の総合プロデューサーでもある。 現在は、ソウルフルな画風のイラストレーターとして、数多くのレコードやCDカバーを制作。また、DJ、音楽&店舗プロデューサーとしてもマルチに活躍している。

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