日本のストリートダンス界を創った9つのTOPIC

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いまやスタジオで踊ることが主流となったダンス。ジャンルも多く、ナンバーやバトル、セッションといった様々な文化が築かれています。しかし、今に至るまでに数々の歴史が存在しています。
ここでは日本のストリートダンスを形成した1970年代を9つのトピックに分けてご紹介。伝説とも言える映像と共に、当時を振り返ってみましょう。

1974年、日本最初のプロダンスチーム、ネッシー・ギャング


1970年代半ばに一世を風靡したファンクバンドKool & the Gangが74年に来日。プロモーターからの要請で、ともにステージに立つダンスグループが結成される。それをきっかけに日本最初のプロダンスチーム、ネッシー・ギャングが結成された。

1977年、多くのダンサーに多大なる影響を与えた『ソウルトレイン・ダンスコンテスト』!

1977年に開催されたダンスコンテスト『ソウルトレイン・ダンスコンテスト』は、各地でダンスチーム結成の起爆剤となった。また、このコンテストにゲストチームとして来日したのが、something special。日本人が今までに見たことの無い、ダンスパフォーマンスを披露し、多くのダンサーに多大な影響を与えた!

1978年、映画「サタデーナイト・フィーバー」大ヒットで、ディスコブーム到来!

この映画が大ブレイクしたことで、世界中にディスコブームが到来! 日本でも1978年に公開され、ディスコやダンスについての認識度がいっきに膨らむ。結果、ダンサーを起用したイベントや、各方面でダンサーの需要が増えることになった。

1978年、第1回EMIディスコダンスコンテストで、テディ団が優勝!

加速していくディスコブームは、ダンスコンテストの規模も拡大させた。1978年、音楽業界大手のEMIが世界規模のコンテストを開催。日本代表決定大会を勝ち抜き、ロンドンの世界大会に出場したテディ団が、みごと優勝という快挙を成し遂げる。また、この日本代表決定大会には、後の日本ダンスシーンに足跡を残す多くのダンサーが参加していた。

1974年、ディスコシーンを盛り上げた全国ディスコ協会。

1974年に全国ディスコ協会が設立され、ドン勝本が会長に就任。数々のイベントを開催し、70年代のディスコシーンを盛り上げた。さらに、米国ビルボードの協力を得て、帝国ホテルにて国際ディスコ会議開催。日本中からディスコ関連の経営者、DJの多くが参加し、ビジネスの現状と将来を話し合った。

1970年前半、ニューヨークから起こった新たなムーヴメント、ヒップホップ!

1970年代半ば頃、ディスコブームが続くなかダンスシーンに、また新たなムーブメントが巻き起こった! ラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフティ、総称“ヒップホップ”と呼ばれるカルチャーだ。日本にも上陸し、日本のダンスシーンに変化が現れ始めた。

1983年、映画「フラッシュダンス」で、ブレイクダンスがいっきに普及!

1983年に公開され、日本のダンスシーンにも一大旋風を巻き起こした映画「フラッシュダンス」。なかでも、ROCK STEADY CREWによるブレイクダンスシーンが話題になり、日本でも街角にダンボールを敷いて踊るブレイカーの姿を目にするようになった。この頃から本格的なダンスブームが始まったと言えるだろう。

1980年代前半、全世界の音楽・ダンスシーンに衝撃を与えた、マイケル・ジャクソン。

ダンスシーンのみならず、音楽シーンにも衝撃を与えたマイケルジャクソンのPV「スリラー」が、大ヒット。音楽業界にミュージックビデオが必要不可欠という新しい常識を作った。これによって、ダンサーの活躍の場も増し、バックダンサーたちにも注目が集まるようになる。

1990年代前半、社会現象にもなったニュージャックスウィング

ソウル、ファンク、そして、ヒップホップを融合させた、独自のグルーヴ感で一躍ブームとなったニュージャックスウィング。その代表、M.C.ハマーとボビー・ブラウンに影響され、日本でも彼の髪型や服装、ダンスのスタイルを真似した若者が多く現れ社会現象にもなった。


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