「ダンサー」から「ダンススクール経営者」への転換 ~Studio Landin’ 横山 泰三インタビュー~

インタビュー
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将来、ダンススクールを経営したいダンサーのために——。

ダンサーとして活躍し、今では多摩地区でStudio Landin’を経営する横山泰三氏にインタビュー!
経営者としての今を語る!


株式会社ネームレスプロダクション 代表取締役  横山 泰三
Profile
1974年福岡県福岡市生まれ。15才の時にTV番組の影響を受け独学でダンスを始める。その後は九州規模のダンスコンテストで優勝入賞多数。上京後もプロダンサーとして様々なダンスイベントにゲスト出演。自身のレッスン事業を総合スクールへと拡大させ多摩地区を拠点に運営中。

ダンスを通じて人生をより豊かなものに

―創業20周年おめでとうございます! ダンサー時代から20年間ご自身で作り上げてこられた事業ですが、スクール経営とはどんなお仕事だとお考えですか!?

そうですね、スタジオ名であるLandin’には「踊り場」の他に、「着陸」とか「上陸」といった意味もあるのですが、まさにこれからダンスフィールドに上陸しようとしている初心者の入り口部分を担当するお仕事ですよね。
だからまったくダンスが初めてという方達にとっては、そのファーストタッチがどういったものになるかが、人生の分かれ道と言っても過言ではないので、弊社スタッフはレッスン前後も含めた適切なケアを心がけております。初めてスクールに来た時は内気でおとなしかった子が、ダンスを通じて明るく活発になったり、レッスンを通じて友達が増えたり、もっと大きな世界にデビューしていったり、いい意味でどんどん人生が変わっていく様子を温かく見守れる職場でもあります。

―その考え方は創業当初からあったのですか!?

いやいや、最初はもちろん手探りからのスタートでしたよ。まだ創業して間もない頃に、「TAIZOさんがやられてること(スクールを運営していること)は、エネルギーの有り余っている若者たちを、誤った方向に進ませることなく導いてあげて、世の中に貢献されていますね」と言われたことがあったんです。今まで好き勝手に踊ってきた若造が「社会に貢献してる」なんて、思ったことも言われたこともなかったから嬉しかったですし、弊社の経営理念である「多摩地区の皆様に良質のダンスを提供し、ダンスを通じて皆様の人生をより豊かなものに」のベースはここから始まったと思います。

多摩地区初のヒップホップスクール開講

―そんなTAIZOさんご自身がダンスを始めたのはどういったキッカケだったのですか!?

僕は九州の博多出身でして、15才の時に当時ZOOがやってた「DADA」っていうテレビ番組の影響でダンスを始めました。20~30年前の博多は東京や大阪のダンサー達が学びに来るほどストリートダンスが盛んな地域だったので、そういった地元の先輩方から受けた影響は大きかったですし、もし盛んじゃない地域で生まれ育っていたとしたら、そんなに技術も経験も得られなかったでしょうね。そういった環境のおかげもあって、18~19才の頃には九州のダンスコンテストでソロでもチームでも優勝するくらいの経験はさせてもらいました。

―その後、どのような経緯でスクールをオープンすることになったのでしょうか!?

インストラクターは上京してからなんですけど、八王子に住んでた友達に「このへんスクール無いからレッスンやってくれないか?」って頼まれたのがキッカケだったんですね。
でも、博多のシーン的な感覚では「僕みたいな若手がとんでもない!」って恐縮する感じだったんですけど、改めて東京のシーンを見渡してみると、同世代で同キャリアくらいの若手ダンサー達も結構レッスンやってたので「じゃあ僕がやっても大丈夫かな?」という感じで始めました。
でもお金を頂いてレッスンやる以上、ウソの技術は教えられませんから、今の自分の技術や認識で合ってるのか、基本の確認がてら各ジャンルの大御所先輩方に習いにいったりしてましたね。

―当時はどうやって生徒さんを集めていたのでしょうか!?

1996年当時は今みたいにダンススクールが無い時代でしたから、一線で活躍してるダンサー達でも、どこかのスタジオを借りて自営でレッスンやってるような状況だったんですよ。
まだダンスの専門誌も無かったですから、ストリート系のファッション誌なんかでダンサー特集記事に載ったりする際に、自分のやってるレッスン情報も出してもらう訳です。携帯電話もインターネットも普及する前で、ホームページとかメールアドレスも存在しませんから、自営でレッスンやってる以上は問い合わせ先として自宅の電話番号を載せなきゃいけないんですよね。でも雑誌に自分の番号だよって載せるのも怖いですから、みんなオフィス〇〇とか〇〇企画とか事務所っぽい名前つけて載せてたんですよね(笑)。
なので僕もそれに倣って適当に「名前もつけてない架空の事務所」的な意味合いで「ネームレスプロダクション」って雑誌に載せておいたんです。それがその後、本当の会社になってしまいましたね。

スペシャリストからゼネラリストに

―その後どのような経緯で、現在のようなダンススクールになったのでしょうか!?

ダンサー時代は自営のレッスンを週3~4本やっていたんですが、その中のひとつに国分寺の小さなクラブがありまして、そこを間借りしてレッスンさせてもらってたんですね。そして「この店の営業開始時間までなら帯でレッスンやれるじゃないか」という事に気付き、当時活躍してた各ジャンルのダンサー達に声をかけつつ、クラブ使用のスクールとして開業したところ、普通のスタジオじゃないにも関わらず大盛況だったんですね。
2004年って都内各地でダンススクールがオープンしてた時期なんですけど、多摩地区はまだ今ほどありませんでしたから、地元で有名なダンサーたちのレッスン始まったぞってみんな喜んでくれたんでしょうね。「それなら多摩地区をもっと盛り上げましょう!」ということで、翌年には立川に実店舗として初のスタジオをオープンさせ今に至ります。

―ダンサーでスタジオ経営されている方々って多いと思うんですが、ここまで長く続け、店舗を展開してこれた秘訣ってなんだと思いますか!?

個人商店レベルであればプレイヤー兼任でもやれると思うのですが、ダンスシーンと一緒で経営のフィールドでもこのへんまではクリアしとけってラインはあるので、そのへん目指したい人向けにお答えしますと、まず求められる能力としてスペシャリストからゼネラリストにチェンジしないといけないと思います。
ダンサーの時はそのジャンルだけ極めてれば良かったけれど、経営者なら提供者ということですから、各ジャンルに造詣を深くしていかないといけないし、もうプレイヤーじゃないんだから変な拘りは捨てて、マネージャーにもコーディネイターにもネゴシエイターにもなれなきゃいけない。将棋でいうと飛車角のままじゃいけないので、金とか王将に変化するイメージですかね。
でも、士農工商でいうと武士から商人にチェンジするイメージなので、インストラクターやってた頃より頭下げる機会は格段に増えると思いますよ。

―では長年インストラクターとして評価される人、そうでない人は何が違うとお考えですか!?

我々が提供するのはダンスレッスンですが、資格も線引きもあやふやな業界だからこそ、インストラクターの技術や人間性、実績に伴う説得力は重要なポイントだと考えております。また学ぶ側も「誰々先生に習ってました」って胸張って言えるような学歴的側面もありますよね。以前に聞いた話なんですけど、地方からオーディションで出てきた女の子ダンサーが、基礎から色々なってなくて不合格だったらしいんですけど、その娘がそれまでダンスに費やしてきた情熱や時間を考えると本当
に気の毒だったそうです。ですからインストラクターもスクール経営者も、ダンスを提供することに対しては真摯であるべきだと思いますね。

―では今後スクール経営を目指すダンサーにアドバイスをお願いします。

まだ僕も経営者として勉強中の立場ですが、ダンスって芸術やグルメの世界と一緒で、ビギナーが首突っ込んで良し悪し判断できる世界じゃないですよね。だからこそダンサーが、自身の得てきたキャリアやリテラシーを、スクール経営という形で次世代に還元するって素晴らしいことですし、育ててくれたダンスシーンに対する恩返しとも言えるんじゃないでしょうか。ダンサーのセカンドキャリアとしても夢を抱ける仕事だと思いますよ。
本気でチャレンジしたいという方は、直接ご相談頂ければもっと具体的なアドバイスをさせていただきます(笑)。

 

Job History

1. 高尾スクール
八王子の高尾にあるレンタルスタジオにて多摩地区初のヒップホップダンススクールを開始。

 

2. ソウルアフタヌーン
1996年から主催イベントとして不定期に開催されていたデイイベントの走り『SoulAfternoon』。

 

3. セントラルライナーズ
90年代はダンサーとして各イベントにゲスト出演、ダンサーTAIZOとしてTVでも特集された。

 

4. FMラジオ番組
ダンサー活動以外にも「TAIZO’sVIBE!!」というラジオ番組で3年間パーソナリティを務めた。

 

5. クラブでレッスン
クラブの営業時間前を帯で間借りしつつ、本格的なスクール経営へとシフトさせていく。

 

6. 立川スタジオ
そして立川にStudio Landin’をオープン。多摩地区ではありえなかった豪華講師陣が集結。

 

7. 国分寺スタジオ
立川校の翌年には国分寺校オープン。そして経営状況も個人事業から法人化していく。

 

8. 田無スタジオ
近年はレッスン以外にレンタル業務も展開、西東京最大のダンススタジオとして運営中。

Information

Studio Landin’
ネームレスプロダクションが運営する
豪華講師陣による本格志向ダンススクール!

HPはこちら!

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